小中村政一がFIFA公認カメラマンになった経緯 vol.03
1つの撮影許可も持たず、何の後ろ盾もなく、単身でロシアへ乗り込み撮影しました。
多少の自信を持って会場入りしたはずが、最初の数試合は納得のいく写真が一枚も撮れませんでした。
私が好きなスポーツの1つでもあるサッカーの撮影なのに、なぜこんなにも撮れないのか。
何試合もそんな状態が続き、撮った写真をことごとく消してしまいました。
やはりイップスは克服できていなかったのかと諦めかけ、次の試合で満足いく写真が撮れなかったら「世界一のスポーツカメラマン」への道も諦めようと考えました。
せっかく大好きなサッカーの写真を撮りに来たのに・・・。
とても残念な気持ちになりましたが、最後ぐらいは好きなように撮ろうとリラックスして撮影に挑みました。そんな背水の陣というよりは半ば諦めの精神で挑んだ撮影は、私が優勝すると読んでいたベルギー戦です。
楽しんで撮影するために、試合前に入念なリサーチと予測を立てて準備しました。
すると、奇跡が起きたのか試合展開が手にとるように分かり、神が降りてきたかのようにビシッと決まる写真がたくさん撮れたのです。
これまでもスポーツやアスリートに対するリスペクトを忘れずに、撮影前には入念なリサーチを心がけていましたが、今回ばかりは神が降りてきたと言わざるを得ないほど予測が的中しました。
FIFA関係者との出会い
大会の終盤に来てようやく満足の行く撮影ができましたが、ここまで「FIFA公認になるため」のアプローチをほとんど考えずにきてしまいました。
今回最大の目的でもあるはずなのに・・・。
もう考えている暇はないと、慌てて会場にいる人達へ片っ端からFIFAに知り合いがいないかと声をかけました。必死になって総勢2000人近くに声をかけたところで、奇跡的に一人だけFIFAに知り合いがいる方を発見。
早速その方をご紹介いただき、日本国内でのフリーカメラマンの現状とFIFA公認のカメラマンになりたい事情を説明し、FIFA公認にしてほしいとお願いしたのです。
しかし、すでにWカップは決勝戦目前。いまは準備で手が離せないから、決勝が終わるまでに3枚写真を見てくれと言われました。
そして・・・
今回で最後の撮影となるスタジアム外での写真を見せました。
次回2022年のWカップは、ピッチサイドで撮影している自分しか想像できません。
そう、FIFA公認となって。
もちろん撮影の技量が分かるように他にも数枚お見せしましたが、この写真が彼の心を揺さぶり、FIFA公認を手に入れたと確信しました。
もう一つ彼の心を揺さぶったとすれば「モスクワから飛行機を一度も使わずに陸路で日本まで帰る」と伝えたところ、「君はめちゃくちゃおもしろい人間だな」と、7日間にも及ぶモスクワ~ウラジオストクまでのシベリア鉄道の旅に同行したいと言っていただいたことかもしれません。
念願のFIFA公認カメラマンへ
大会が終わり無事にFIFA関係者の方とも知り合うことができました。
いくつか作品も見てもらい好感触を得ましたが、その時点ではまだ”FIFA公認”のカメラマンになれたわけではありません。
しかし、カメラマンとしてと言うよりは他の面で気に入ってもらえたのか、帰りは一緒にシベリア鉄道へ乗ろうと約束してもらえたので、もしもう一度チャンスがあればもっとカメラマンとしての熱意を伝えたいと考えました。本当に来てくれるかはにわかに信じられず、半信半疑のまま帰りの列車へ向かったのです。
すると、FIFA関係者の方が本当に来てくれたのです。
なんとFIFA関係者の方は、ご夫妻で私の途方も無い無茶苦茶な旅に、面白い!との一言だけで付き合ってくれました。
しかも奥様は日本人で、英語も話せないのに熱意だけで押し通そうとしていた私の通訳までしてくれたのです。日々のコミュニケーションは私のつたない英語とジェスチャーで乗り切っていましたが、肝心の仕事の話となると英語が話せないのは致命的で、ここだけでも通訳をお願いできたのは本当に助かりました。
私にとっては奇跡とも言うべきこの出会いに感動しながら、FIFA関係者のご夫婦とシベリア鉄道1週間の旅を楽しみました。この1週間、ひとつ屋根の下どころか、壁一枚で区切られた向こう側にはいつでもご夫妻がいるわけで、それはもう家族同然のような関係です。
お互いの部屋に行っては話し込み、時にはお酒を交わして爆笑トークを繰り広げながら、とても有意義な時間を過ごしました。
その時間の中でも、仕事に関することやプライベートに関することまで色んな話をさせていただき、私の人となりを知っていただいた上でFIFA公認にしていただける約束をいただけたのです。
契約したわけでも証書をもらったわけでもありませんが、こうして無事にFIFA公認の約束をいただき帰国することができました。
契約したわけでも証書をもらったわけでもありませんが、こうして無事にFIFA公認の約束をいただき帰国することができました。